読書を始めて

 本をよく読むようになって一月半が経った。この読書経験によって早速、読書中や、それ以外の場面でも、これまでと違いを感じる。

 幼少期から青年期にかけてほとんど読書経験がなかった私は、読書という行為が苦手だった。本を読んでも内容が全く頭に入ってこないのである。今思うと、それは読むというよりも、文字列を眺めているだけという方が正確だった。もちろん、本人は読む気満々なのである。一文一文の内容を理解しつつ、全体の論理構造も掴み損なわないように、気合を入れて読書に臨んでいるのである。しかし、十代までの活字に触れる経験が少なすぎたのか、読んでも読んでも頭に入ってこない。まさに文字列が脳みそを右から左に受け流されてたのである。

 私は危機感を覚えた。自分の人生を考えたとき、今後一切本を読まずに生きていくことなど到底できない。むしろ今などは、難しい専門書を読み進められる能力がないとやっていけない環境にいる。今のように本を読む能力が低いままでは、ただ仕事効率的に、学習能力的に損なだけではなく、求められる最低限のタスクすらこなすことができない。なんとかして、読書能力を高めたいと思った。

 そのためには、読むしかないと思った。もしかすると、「読書のコツ」なるものがあり、それを知ってから読んだ方が効率がいいのかもしれない。しかし、これまで行動より理論を優先しがちで、その結果あまりいい思い出がなかった私は、今回はとにかく行動に移そうと思った。もちろん、ある程度の読書経験がなければ、「読書法」なるものを学んでも身につかないだろうとの思いもあった。

 幸いにも、読みたい本も読まなければいけない本もたくさんある。この一か月半は何よりも読書に時間を割いてきた。面白い本にも出会えた。それによってさらに読書に割く時間が増えた。

 そして最近、これまでとの「違い」を感じる。文章を読むと、スラスラとまではいかないが、割とスムーズに内容が頭に入ってくるようになった。今もちょっと気を抜くと文字列が右から左へ流れていくだけなのであるが、集中しているときにはそれなりに内容をつかめるようになってきた。

 そしてこれは読書以外にも効果をもたらしていることに気がついた。それは、人の話を聞いているときに、話がスムーズに頭に入ってくるのである。たとえば、授業中に先生の話を聞いていても、話が入ってくるから授業の流れもつかめるし、嫌にならない。授業が分かると面白くなって集中力も途切れにくくなるし、それによってさらに内容が入ってくる好循環が生まれた。思えば、読書も人の話を聞くのも、目と耳という受容器の違いはあれど、ある言葉の内容を受け取る行為なのであるから、脳での情報処理の仕方は似ているのであろう。これは想定外の効果であった。

 読書は素晴らしい。よく耳にすることであるが、これまでの時代時代の最高の知性の持ち主と対話をすることができる。世の中の奥深さに気がつくことができる。学問の面白さに気がつくことができる。自分の世界がいかに狭いかを知ることができる、その世界を広げることができる。

 私はすっかり読書にハマってしまった。善悪は別として、知的功名心が強いのも影響しているだろう。こうしてブログにその本を読んだことを記録しているのも、読書欲を湧き起こす。しかし何よりも大きいのは、本を読むことの必要性と素晴らしさを実感していることだ。これによって私の動機は確固たるものになっている。これからも、本とともに暮らしていきたい。