自分を知るための哲学入門

『自分を知るための哲学入門』ちくま学芸文庫 1993年発行

・著者

竹田青嗣

1947年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。早稲田大学国際教養学部教授。

・目次

まえがき

第1章 哲学”平らげ”研究会

第2章 わたしの哲学入門

第3章 ギリシャ哲学の思考

第4章 近代哲学の道

第5章 近代哲学の新しい展開

終章  現代社会と哲学

読書案内

あとがき

 

・所感

 哲学を学ぶべきか否かーこの問いがここ数年ずっとわたしの頭の片隅にあった。

 わたしは哲学に対して、頭がいい人たちがする学問、難しい学問、自分の人生になんらかの洞察をもたらしてくれる学問、それを学んでいる人は人生においてなにか得をしているのではないか、というイメージがあった。また、高校の倫理で学んだ哲学者に対しては、憧れのようなものを抱くこともあった。このようなイメージを持っていたから、哲学を学び、最高の知性に触れ、人生を生きるヒントをもらいたいと何度も思った。

 しかし、哲学は難しい学問であろうというイメージが、哲学との出会いを妨げた。哲学書には難解な本が多いというイメージがあった。それらを読み解くのには膨大な時間がかかるだろう、哲学を専攻しているわけでもないのにそれを読む時間はあるのか、苦労して読んだところでそれに見合うなにかを得ることができるのか、そのような思いが自然と生じた。

 このようなジレンマの中で2年ほど前、いよいよ哲学を学んでみるかと思い本書を買ったものの、結局読まずに放置してしまっていた。しかしいま、読書欲が高まっている勢いで読んでみたところ(読んだといっても第Ⅰ部だけであるが。これにはそれで十分だと判断した理由がある。)、本書はわたしが哲学に対して抱いていたイメージと実際とのギャップを埋め、そして私がこの数年棚上げしていた問いに答えてくれた。

 著者によると、哲学とは「自分を知り自分をよく生かすための一つの独自の技術」である。これはわたしが抱いていたイメージ、自分の人生になんらかの洞察をもたらしてくれる学問、と半分重なる。しかし、これには注意が必要で、哲学はあくまで「技術」であり、哲学の本質は、「哲学する」ことにあって、「哲学」を知ることにはない。ここに、私は哲学の本質を見誤っていたことが明らかになった。上に書いた私の哲学に対するイメージは、「哲学を知ること」に対するイメージだったのであり、それは哲学の本質ではなかったのだ。著者は繰り返し注意している。たくさんの哲学者の考えを知り、整理・分類することはあくまで「哲学する」ことの準備作業にすぎないと。しかし一方で、この作業が面倒で一般の人はなかなか「哲学する」ところまで行きつけないこと、また、哲学の専門家であってもこの作業を終えただけで、つまり「哲学」を知るところで止まっている人が多いと指摘している。

 この「哲学」を知る作業は確かに難しい。著者によるとそれは、哲学は、推論を限界まで推し進める形で、世界を言葉で表現しようとするからだ。しかし世界の全体や起源を言葉で言い表すことは不可能であり、その矛盾がさらなる言葉による説明を要求する。こうして哲学は、言語パズルのような難しさを孕むのである。そう、やはり哲学(を知ること)は難しいことだったのである。

 そして、私の「哲学を学ぶべきか否か」という問い、これはいまより正確に「哲学するために哲学を知るべきか否か」と言い直すことができるが、これに対しても答えを得た。それは、現状はその必要はない、である。上述のとおり、哲学とはあくまで自己了解のための技術の一つであり、そのような技術は当然哲学以外にもあると思ったからだ。例えば趣味が即座に挙げられる。また、哲学は自己了解が困難になっているときに最も必要とされることになるが、現状、わたしはそれほどそのような状況に陥ってはいない。つまり、現状は必要ないと判断した。もちろん、将来必ず自己了解が困難になることはあるし、その時のためにいま学んでおく方が賢いかもしれないが、時間的に厳しいだろう。本当に追い込まれたときには哲学という方法がある、ということを心に留めておくだけでも違うと思う。

 以上のように、わたしは本書を読んで、それまで漠然としたイメージしか持っていなかった哲学を、自分の中でしっかりと位置づけることができた。これは大きな収穫だった。

 

 本書の内容を簡単に記すと、第Ⅰ部と第Ⅱ部に分かれており、第Ⅰ部では著者の哲学との出会いを紹介しながら、哲学、思想とは何かを説明している。そして第Ⅱ部では、わたしは読んでいないのだが、第Ⅰ部の内容を踏まえて、自己了解の方法としての哲学の歴史を概観するようである。

 わたしは、「その時」が来たら、Ⅱ部まで通して読もうと思う。