登山あれこれ

 私は登山中に食欲がわかない。登山の日はだいたい山頂でお昼休憩を取るが、普段の昼食よりも食べる量が少ない。おにぎりを2個食べたらもう喉を通りにくくなる。エネルギー不足になるといけないから山頂以外での休憩時にチョコなどを食べるようにしているが、それでも山中での摂取カロリーはせいぜい500~1000kcalほどだろう。私は一日の山行で2500~4000kcalほどを消費する(YAMAPによる)。これに加えて基礎代謝で1500kcalほど消費しているだろう。これだけエネルギーを消費していても食欲がわかないのはなぜだろうか。

 なぜ山の中で食欲がわかないのか、それは登山中は普段と身体の生理的状態が違うからだろう。では登山中はどういう身体状態なのだろうか、推測するに、交感神経が優位になっているのではないか。交感神経が優位の状態では、消化器系の運動が抑制され、食欲がわかないはずだ。

 考えてみると、私の登山には交感神経が有位になる要因がたくさんある。(自分にとって)ハイペースの登り(すなわち激しい運動)、人気がない道やクマに遭遇しそうな道、危険な道での過度の緊張・ストレスである。これらによって登りの最中はかなり交感神経が優位になっていて、そのままの状態で昼食休憩に突入するため、食欲がないのだと考えられる。

 ところで、振り返ってみると、登山を始めた当初の私は、登山にやすらぎを求めていた節がある。自然の中を歩くことでリラックスし、ストレスから解放されることを想像していた。それはすなわち副交感神経優位の状態になることであり、最近の山行とは逆の状態である。

 登山に求めるものは人それぞれ違うだろう。たとえば、ヒマラヤなどの過酷な山域に挑戦している登山家は、そこに安らぎを求めてはいないと思う。彼らが求めているのは挑戦や限界ややりがい、そしてそれらの向こうにある最高の達成感と絶景ではないか。一方でハイキングや軽いトレッキングが好きな人には、自然の中を歩くことでリラックスし程よい運動をすることで精神的にスッキリすることを求めている人が多いのではないか。もちろんこれらのスタイルに優劣をつけることなどできない。重要なのは自分が求めているものを得ることができているかだと思う。

 では、私の場合はどうだろう。私は上に挙げた例の両方を求めているような気がする。つまり、厳しい山行に臨みたい挑戦心もあるし、自然にやすらぎを求める心もある。しかし、一度の山行でこの両者を同時に達成することができる山はそう多くないだろう。したがって、挑戦の山行とやすらぎの山行を自分の中で区別し、登山の際にどちらを求めて登るのかを意識するのが良いのではないか。そうすれば私のどちらの気持ちも満たすことができる。

 しかし、今の私には山によって目的を変えて楽しむことは難しいだろう。なぜなら、上に書いたように私は交感神経優位の状態で登山をしていて、その状態を意識的に脱することが難しいからだ。つまり、現状ではやすらぎの登山を行うことが難しいと思う。

 交感神経優位の状態を脱することを難しくしている最大の要因は、緊張とストレスである。最近の私は登山の様々な危険性を認識するあまり、リラックスして登ることができなくなっている。もちろん登山において集中力を保ちいち早く危険を察知しそれを回避したり乗り越えたりすることは重要であるが、私の場合は神経質になりすぎ、怯えすぎている。これは良くない。登山を楽しめないだけでなく、実際に困難に遭遇したときに混乱してしまう。冷静な対処を難しくしてしまう。これは先日の妙高登山でも痛感した。

 以前読んだサバイバル本に、遭難したときや危険に直面したときに生き残ることができる人の特徴の一つに、状況を客観的に把握できること、冷静に対応できること、死を意識しないことが挙げられていた。どれも当たり前のことであるが、今の私は失格である。死を意識しないことと危険を認識しないことは違う。大胆と無謀は違う。落ち着きと油断は違う。私は危険を認識するだけでなく死をも意識し、無謀を恐れるあまり大胆さも失い、油断をしまいと思うばかりに余裕まで持てなくなっている。

 どうすれば、適度な緊張を保ちつつリラックスした登山ができるのか。確実な答えはわからないが、可能性が高い方法はいくつか考えられる。まずは、これまでの記事で何度か書いてきたパーティでの登山。それから、これも何回か違う形で書いてきたが、万全の準備(装備、技術、知識全てにおける)。そして経験を重ねること。

 毎度、同じ結論にたどり着く。これも単独行の限界か。