personal matter
久しぶりの更新となってしまいました。
更新が滞った言い訳染みた理由を一応書いておきます。
このブログは登山記と読書記録が主な内容ですが、登山記については、更新が滞っていた期間は夏山しか登れない私は山へ行けず、特に書くことがありませんでした。また読書記録については、「読書メーター」に記録するようになったため、わざわざこちらのブログに書こうという気が起きませんでした。
それ以外では、12月に「2017年面白かった本ランキング」「同映像作品ランキング」なる記事でも書こうかと思っていたのですが、ちょうど年末に開催された大学将棋の全国大会に想定外に参加することになり、その準備・調整に時間の大半を割くことになり、結局書けませんでした。「想定外」と書いたのは、私は(子どものころから将棋が趣味ですが)ここ数年はずっと将棋の大会には参加しておらず件の大会にも参加しないつもりでいたのが、どうしたことか直前に心変わりが起こって参加したからです。(なお、この大会は団体戦ということで、部員たちと一緒に全国優勝を目指して戦い、非常に充実した時間を過ごすことができました。これについてこれ以上書く出すと一万字くらい書き連ねてしまうので、ここでは「興味のある方は弊大学将棋部のホームページにある日記を読んでください」と、リンクすら貼らない不親切な案内をするに留めておきます。)
こういうわけでしばらく更新していなかったのですが、その間も特に変わりなく生活していました。と近況報告したところでほとんどの方は私に興味などないと思いますが、今記事ではさらに私自身のことについて書いていきたいと思います。
突然ですが、私は現在精神的な障害を抱えています。具体的には社交不安障害あるいは対人恐怖症と言われるものです。
社交不安障害は、生活の中のある状況(広義の対人関係)に対して強い不安を感じ、その状況に陥ることが予想されるとそれを避けようとし、あるいはその状況に陥った場合には身体的な変化が起こる、というものです。対人恐怖症は、「対人場面で不当な不安や緊張が生じて、嫌がられるとか、不快感を与えるのではと考え、対人関係から身を引こうとする神経症の一種(wikipediaより)」です。
二つの障害が似ていることもあり、私はこの両方の症状が見られます。不安障害的な症状では、決まって強い不安を感じる状況が2,3あり、たいていはその状況を避けようとし、もしその状況に身を置いた場合には大量の発汗と動悸が起こります。対人恐怖的な症状では、日常生活の様々な場面・何気ない場面で「恥」や「後ろめたさ」、「自分はここに居てはいけない」というようなものを感じ、やはり発汗と動悸が起こります。おそらく、人に対する「恐怖」が私の深い部分にかなり前から形成されていて(10歳ころから現在に至るまで形成され続けている)、ここ7,8年間の生活・環境・人間関係の変遷を経るうちに、その恐怖が障害という形で表に出るようになったのだと思います。
私は障害を抱えていることも含め今の自分を受け入れることができておらず(そもそも自分を受け入れることができていれば精神障害も抱えないでしょう)、それによる自分の中での対立から孤独感や絶望感をときどき感じます。また、私の場合は認知の歪みが障害の一因となっていて、その思考の歪みは鬱病につながるものでもあります。ちょっとしたことがきっかけで歪んだ(非合理的な・不公平な)思考をして、かなり落ち込んでしまうこともよくあります。幸いにも今は自分の障害を知っているので「あ、いま歪んでるな」と認識することができるようになってきていて、なんとか客観的に考えようと努めることができますが。。。
私は日常生活の些細な場面(他の多くの人はなんともなく過ごすことができているように私には見える場面)に対し不安や恐怖を感じるので、それなりの生活しづらさを感じています。そもそも自分が障害を抱えていると知ったのも、生活しづらさが許容範囲を超え、臨床心理士の資格を持つ友人に相談したからでした。そして友人から障害を抱えていることを教えてもらい自分が病気なのだと気づいたことで、治療を開始することができました。それまでなぜかわからないけど苦しかったものが、苦しみのもとと、それを治療できるということがわかったため、多少の希望を持つことができました。昨夏のことです。現在は学内のカウンセリングルームに週に一回通い、普段考えていること感じたことなどを話して、自分の考え方・思考を見つめなおしているところです。
ここまで、私の精神障害とそれについて私が現在認識していることを書いてみました。なぜ急にこんな個人的なことを書こうと思ったのかはわかりません。ただ親しい人には知っておいてほしいという気持ちはあります。
文字にしてみると、頭の中では漠然と大きな問題のように感じていたものの輪郭が、はっきりとしますよね。もしかすると今後精神的なことに関する記事を書いていくかもしれません。