TOEIC

 最近趣味でTOEICを受けています。趣味と言うと奇妙に思われるかもしれませんが、勉強してその結果が点数に反映されるのがなかなか楽しいのです。この練習・上達の過程を楽しむというのは、多くの趣味に共通した楽しさの一つではないでしょうか。たとえば、私の趣味の一つである将棋では、「もっと強くなりたい」「大会で勝ちたい」「プロの将棋を理解できるようになりたい」という動機で様々な勉強(修行・練習・訓練とも言える)を積みます。これと「TOEICで点数を取れるようになりたい」という動機でTOEICの勉強をするのは同じ構造だと思います。また将棋という趣味が、同じく将棋を趣味とする人とその話題で延々と語り合えるように、TOEICにおいても頻繁に試験を受けている人と(その人がTOEICを趣味と捉えているかは別として)TOEICについて延々と語り合えます。そう考えるとTOEICを一つの趣味と位置付けても奇妙ではないように思います。

 ところでおわかりのように、TOEICを趣味と位置付けると、より包括的な趣味「英語」が存在することになります。この英語学習という趣味の構造を上と同様に考えると、「もっと英語を読み聞き話し書けるようになりたい」という動機で英語の勉強をするというものだと思います。

 趣味TOEICと比べると趣味英語はその動機がはるかに多様であると思います。上では「英語を読み聞き話し書けるようになりたい」という一文にまとめましたが、より正確に、より具体的に書けば「外国人と話したい」「興味のある英文記事を読みたい」「洋画を字幕なしで見たい」「言語学的観点から英語に興味がある」など、無数の動機が存在します。それに対して趣味TOEICの動機には「TOEICで高得点を取りたい」か「勉強→点数アップのプロセスが好き」くらいしか動機がありません(少なくとも私にはそれくらいしか思いつかない)。

 このように対比したうえで、なお英語学習が趣味なのではなくTOEICが趣味なのだと言うと、やっぱり少し奇妙かもしれません。なんでそんな狭い分野が好きなんだ、つまるところ英語学習が好きなんじゃないか、と。しかし、やはり違うのです。私は(少なくとも今は)英語学習ではなくTOEICが好きなのです。

 ではなぜ英語ではなくTOEICが好きなのかと考えてみると(こんなこと考える意味があるのかはわかりませんが)、やはり冒頭に書いたように、TOEICで高得点を取りたいという動機があり、勉強の成果が得点に反映されるプロセスが好きだからなのだと思います。それに対して英語学習ついては強い動機がありません。外国人と話したり英文記事を読んだりできたらいいなとは思いますが、それほど強い思いではありませんし、どうせそのうち優秀な自動翻訳機、自動通訳機が市販されるでしょという感じです。

 以上からお察しのとおり、私は英語学習とTOEICの勉強は別物と割り切っているところがあります。そのため、巷でよく言われる「TOEICの点数は高いけど英語を使えない人」になっても構いません。TOEICの勉強をしているついでに英語もちょっとは使えるようになればいいなという下心も多少はありますが、基本的に自己満のためにやっています。ですからTOEICの点数でもって英語が使えるということをアピールしようという気もさらさらありません。もしその点数を利用するとしたらただその点数だけが求められるところででしょうね。いまだにそんな古い世界があるのかは知りませんが。

 ここまで趣味TOEICおよびその周辺について書いてきましたが、これらはすべてあくまで現時点の私のスタンスです。私の心は変わりやすいので、一週間後には「TOEICなんて狭い世界は出よー、やっぱり英語学習楽しー、外国人と話してー、自動通訳機なんて待ってらんねー」と言ってるかもしれません。そうなってても優しく見守ってください。